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石炭記念館のコッペル社製蒸気機関車を直方市指定有形文化財に指定しました!

更新日 2025年03月07日


黒い蒸気機関車と貨車、背景は青空

コッペル社製貝島炭礦32号蒸気機関車とロト22号無蓋貨車



直方市石炭記念館には2両の蒸気機関車がありますが、その内の1両、JR福北ゆたか線の線路沿いにある機関車は、ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製のものです。この機関車と、一緒に保存している貨車を令和7年2月に直方市指定有形文化財に指定しました。

 

石炭記念館の地は、平成30年に国史跡・筑豊炭田遺跡群に指定され、平成27年には三池や長崎の炭坑遺跡が「明治日本の産業革命遺産」に登録されるなど、近年、近代化産業遺産が注目を集めていますが、今回、直方とかかわりの深い貝島炭礦の専用鉄道で、日本の近代化を支えた石炭輸送等に従事していた機関車と貨車を文化財に指定し保存を図ろうとするものです。

 

貝島太助は、麻生、安川とともに「筑豊御三家」と呼ばれる炭鉱経営者で、直方で生まれ、一介の炭坑労働者から、有力な地方財閥である貝島礦業を築き上げました。コッペル社製貝島炭礦32号蒸気機関車は、貝島礦業の主力炭鉱であった、現宮若市の貝島炭礦第六坑(現宮若市大字長井鶴)・旧国鉄宮田駅間の石炭輸送に従事し、1976年(昭和51年)まで稼働していました。コッペル社の蒸気機関車は、明治・大正期に多く輸入されましたが、現存しているものは少なく、希少性が高いものです。形式は車輪の配置が1C1となるタンク機関車で、国内に現存するコッペル社蒸気機関車の中でも大型のものです。

 

貝島太助の後継者・貝島太市が代表者であった大正時代、貝島炭礦専用鉄道では石炭輸送用にコッペル社製機関車を2両、土砂運搬用にアメリカのアルコ社製機関車2両を輸入しました。この時期には国産の蒸気機関車も多数生産されていましたが、貝島炭礦ではあえて海外から機関車を輸入しました。現代であれば、外車に乗るような感覚かもしれません。

 

大規模な炭鉱で明治時代末期から導入されはじめた「長壁式」と呼ばれる機械採炭法では、落盤を防ぐため、大量の土砂を石炭採掘後の空洞に埋める必要があります。そのため貝島炭礦は、現飯塚市の庄司に大規模な採砂場を設定し、専用鉄道で土砂を現宮若市内の各坑口に運搬していました。その貨車を主に運搬していたのがアルコ社製貝島炭礦22・23号蒸気機関車で、それぞれ宮若市と小竹町の有形文化財に指定されています。また、その土砂を搬送した貨車のうちの1両、ロト22号無蓋貨車が、直方市石炭記念館において、コッペル社製機関車とともに保存されています。この貨車も石炭産業に従事した車両として、直方市指定有形文化財に同時に指定しています。なお、庄司採砂場の跡地は陸上自衛隊飯塚駐屯地となっています。

このページの作成担当・お問い合わせ先

直方市教育委員会 文化・スポーツ推進課 社会教育係(直方市中央公民館)

電話:0949-25-2326、0949-25-2241 所在地:直方市津田町7−20 このページの内容についてメールで問い合わせする