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鈴木徹平さんインタビュー

更新日 2019年02月14日

音楽一家に生まれ

鈴木徹平さん愛用のトランペット父は世界で活動する指揮者、母は直方で自身の開いた音楽教室のピアノの先生。姉と弟も音楽をやっていた音楽一家だったので、自然と音楽に興味を抱くようになりました。

当時、吹奏楽で有名だった福岡工業大学付属高校(現・福岡工業大学付属城東高等学校)で、父が指揮を執っていました。

新入部員は初心者ばかりなのに3年間ですごく上達して、部員が毎年入れ替わるにも関わらず、全国大会常連校だったことに憧れていました。

その吹奏楽部員の中に、当時高校3年生にも関わらずプロ顔負けの奏者がいました。とにかくかっこいいし、うまいし。彼への憧れがトランペットを始めたきっかけです。

偉大な父の影で

吹奏楽の世界で数々の実績があり、有名校で指揮を執る父を、ずっと尊敬していました。父であると同時に音楽の師匠でもありましたので、やはり彼がいてくれたおかげで今があります。

ただ「偉大な父」のプレッシャーもありました。

二世のつらさというか。「鈴木先生の息子さんだから、できて当たり前だよね。」と言われていた時期も長かった。「鈴木先生の息子さん」と呼ばれるたびに「僕にはちゃんと『徹平』という名前があるんだ。」と、心の中で叫んでいました。

そんなことが続いた20代前半の頃は、このまま音楽を続けていてもいいのかと悩んだりもしました。しかし、音楽以外の道は考えなかった。やはり僕には音楽しかなかったのです。そして、今では父と一緒に演奏の場に立つ事をいつも楽しみにしていますし、逆に「徹平さんのお父様ってあの鈴木先生だったんですね!?」と言われるようになりました(笑)

彼の息子である事を誇りに思っています。

海の向こうへ

遠賀川河川敷で中学2年生の頃までは、父のいる福岡工業大学付属高校で、共に吹奏楽コンクール全国大会のステージに立つことが夢でした。

しかし、それができなくなりました。

中学3年生に上がるタイミングで、父が福工大付属高校を退職し、東京にある音楽専門学校で指揮を執ることになったのです。

福工大付属高校に進むと心に決めていた僕はどうしたらいいかわからなくなりました。

そこに、一通の手紙が届きました。オーボエの勉強のため既に渡米していた姉からです。

「将来もずっと音楽をやりたいなら、アメリカに来れば?」

その一言で渡米を決めました。

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