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鎌倉時代に想いを馳せて 光福寺遺跡現地説明会

更新日 2019年12月26日

目が不自由な人のために、掲載する画像の説明を記載してください。令和元年12月21日、下境地区にある光福寺で発掘調査現地説明会がありました。
   これまでにも光福寺遺跡では、市教委による2度の発掘調査が行われていましたが、今回、納骨堂の建て替えに伴い、3度目の調査を実施したところ、空堀跡が発見され、これまでの調査結果と合わせると、鎌倉時代の土塁(土手)や空堀を配した大規模な居館であることが確認されました。同時代のもので県内でこれだけ大規模なものは、ほかに現存していません。先の現地説明会は、調査終了後は、大半を埋め戻すため、遺構が見られなくなる前にと開催したものです。
当日、市内外から訪れたおよそ60人が、調査を担当した市の田村悟学芸員から遺構や出土品を見ながら、説明を受けました。



目が不自由な人のために、掲載する画像の説明を記載してください。鎌倉時代、現在の直方を中心に、飯塚北部、小竹町、宮若市などに広がっていた粥田荘(荘園)を治めていた在地領主の屋敷位置はこれまで特定されていませんでした。しかし、同年代に粥田荘を領有していた北条政子が夫と息子のとむらいのため、高野山金剛三昧院へ粥田荘を寄進したことにより、高野山の文献に粥田荘について記載があります。その内容や今回までの調査の成果などから、鎌倉時代の粥田荘在地領主の荘屋敷が光福寺にあった可能性ががぜん高まったとのこと。
ニュースをみて、説明会に参加した直方市出身で春日市在住の中園幸晴さん(54)は、「小さなころ、この遺構の上であるお寺の境内でいつも遊んでいた。その場所がこんな歴史の舞台だったとは驚いた」と話してくれました。

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