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法華寺観音堂の木造十一面観音坐像

更新日 2019年02月15日

法華寺観音堂の木造十一面観音坐像

名称

法華寺観音堂の木造十一面観音坐像(ほっけじかんのんどうのもくぞうじゅういちめんかんのんざぞう)

分類

有形文化財・美術工芸品

所在地

福岡県直方市大字下新入2591

交通

西鉄バス新入本村バス停より徒歩5分

その他

年1回公開 (8月17日)

この仏像は、直方市大字下新入(しもしんにゅう)の観音堂に祀られる木造十一面観音坐像で、かつてこの地にあった法華寺という古刹の本尊像であったと考えられる像です。
像高114.0cm。針葉樹材の寄木造で、表面に漆箔(しっぱく)を施し、玉眼を入れています。
像の内側には、複数期にわたって書かれた墨書が残されており、「建立天禄二」(971年)、「再興建武元年」(1334年)、「宝永弐年/再興」(1705年)、「文久二年/御彩色」(1862年)の年紀が確認されます。

像の制作年代については、墨書に「建立天禄二年(971)」とありますが、頭部が大きく、首が短く、どっしりとした二等辺三角形を形づくる正面観や、分厚い衣の表現、衣の下の肉身の起伏が意識されない表現は、鎌倉時代末から南北朝時代に至る14世紀の時代的な特徴を反映していると考えらます。そのため、墨書にいう「再興建武元年(1334)」が本件の制作年代として妥当と考えられます。したがって、この仏像は建武元年に古像の再興像として制作され、近世になって宝永二年(1705)と文久二年(1862)に修理が加えられたものと判断されます。

像内の墨書は、制作者について記していません。しかし、本件を特色づける太造りの体躯や奥行のある頭部の側面観は、永仁二年(1294)に仏師湛康(たんこう)によって制作されたと考えられる三岳寺の木造薬師如来坐像(佐賀県小城市)や、正和三年(1314)に仏師湛誉(たんよ)・湛真(たんしん)によって制作された善導寺の木造釈迦如来坐像(久留米市)とよく似ています。特に善導寺像とは、鼻梁の太い顔の表現や、膝前の衣文構成、左肩に見られる茶杓形の衣文が共通することが指摘されています。

名前に湛の字をもつ仏師による作例は、九州で数多く確認されており「西国湛派(さいごくたんぱ)」と呼ぶことのできる仏師の一団が、鎌倉時代に九州に移住し、仏像の制作に従事していた可能性が考えられています。この仏像は、こうした九州を舞台に活躍する湛派の一連の作例に連なる特色を示す重要作例に加えられるものです。

このページの作成担当・お問い合わせ先

直方市教育委員会 文化・スポーツ推進課 社会教育係(直方市中央公民館内)

電話:0949-25-2326 所在地:直方市津田町7−20 このページの内容についてメールで問い合わせする