市名の由来
直方の中心部は、かつて、鞍手郡倉久村(現 宮若市倉久)に所在する内山寺の末寺である東蓮寺があったことから東蓮寺村と呼ばれていました。元和9年(西暦1623年)、初代福岡黒田藩主の黒田長政が亡くなりました。その遺言で、四男高政に4万石を与え、この地に支藩を作ることになりました。藩主の館がこの東蓮寺村におかれたので、この藩は東蓮寺藩となりました。
延宝3年(西暦1675年)、東蓮寺藩は直方藩と改名しました。「東蓮寺」を改名するにあたり、儒学者貝原益軒の兄で、当時本藩である福岡藩から出向いていた貝原元端が「直方」と命名しました。これは、藩内の小村「直方(能方)村」(現直方市中泉)の読みを取り、中国の古典『易経』から縁起の良い「直方」の字を当てたといわれています。
また、命名にあたっては南北朝時代にこの地方が、勤皇方(きんのうがた)であったり、懐良親王(かねながしんのう)方、つまり王方(のうがた)であったことにちなみ、そう呼ばれていたとも伝えられています。