第1回 黒田家の出自と歴史

更新日 2018年03月01日

近江国木之本の黒田氏旧縁之地碑直方市中央公民館二階の郷土資料室に「直方惣郭図」という元禄年間(1688年から1704年)の城下町直方の姿を示す詳細な古絵図が展示されています。

直方の町は地震・空襲・大火などの大災害に遭わなかったために、武家屋敷は残っていないものの基本的な姿はほとんど変わっていません。現在の直方の基礎を築いたのが平成二十六年・2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公黒田官兵衛(孝高、号は如水ですが以下、官兵衛と表記します。生年1546年、没年1604年)の孫にあたる、高政(生年1612年、没年1639年)です。

東蓮寺藩(のち直方藩)の藩主と多数の武士が住んでいたという筑豊地区唯一の歴史を紹介する前に黒田家の出自と歴史を述べます。

黒田家は九州の島津家や東北の伊達家と異なり、西日本各地を転々としているのが特徴です。

備前国福岡の案内板福岡藩黒田家の公式資料である「黒田家譜」は三代藩主光之(生年1628年、没年1707年)の命を受け藩の儒学者の貝原益軒(生年1630年、没年1714年)が1704年に完成したもので「直方市史」はじめ多くの資料の原典となっています。

播磨国姫路の黒田官兵衛顕彰碑(姫路市提供)黒田家の先祖は、琵琶湖北端の近江国伊香郡黒田村(現在は滋賀県長浜市木之本町黒田)の豪族で宇多天皇を祖とする宇多源氏佐々木氏の末流とされています。

官兵衛の曽祖父とされる高政(生没年不明)が1511年、山城国の船岡山合戦で足利十代将軍義稙の怒りを買い、吉井川の水運で繁栄していた備前国邑久郡福岡村(現在は岡山県瀬戸内市長船町福岡)に流浪。その子の重隆が後に播磨国姫路に移住して、小寺家に仕えたとされています。

ところが、福岡市博物館はじめ最近の歴史研究者の記述によると信頼度の高い一次史料で確認が可能なのは官兵衛の祖父の重隆(生年1508年、没年1564年)からとする説が多くなっています。

官兵衛の父の職隆(生年1524年、没年1585年)のときに家老になり、小寺の姓を与えられるほど重用されました。

官兵衛の活躍はよく知られている通りで、西の毛利氏でなく東の織田氏につき、小寺氏滅亡後は黒田姓に復して羽柴秀吉に仕え、天下取りに貢献しました。

豊前国中津城の模擬天守九州平定後、豊前に12万石を与えられて中津に城を築いた後に、嫡男の長政(生年1568年、没年1623年)に家督を譲り隠居します。

長政も関ヶ原合戦での功績(石田三成軍との激戦、小早川秀秋の裏切工作等)を徳川家康に評価されて、筑前一国、52万石の大大名になりました。


注意事項市の歴史については諸説ありますが、このページの内容は歴史ボランティア直方を語る会「とおれんじ」が調査、研究した成果を市報のおがた(平成26年7月1日号)で発表したものです。

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